ここ数年のスティーブ・ジョブズはiPhoneやiPadなどを次々に成功させ、殆ど神格化された存在でした。
そんなスティーブ・ジョブズにもやることなすこと全て上手く行かない極度のスランプの時期がありました。
僕はたまたま仕事の関係でスティーブがどん底の時期に彼という人物を知るきっかけがあり、大変強い印象を受けました。
それは1996年から2000年にかけての時期です。
スティーブは1983年に自分が雇ったペプシコーラ出身のジョン・スカリーとソリが合わなくなり、重役会にはかった結果、自分が創業したアップルから追い出されました。
そしてNeXTを創業しますが、1988年に発表したNeXTの黒いPCは高価過ぎて全然売れませんでした。
また映画、『スターウォーズ』シリーズを制作したジョージ・ルーカス監督のインダストリアル・ライト&マジック(=現在のルーカスフィルム)からコンピュータ・グラフィックス部門を買収し、ピクサーと命名し、コンピュータ・グラフィックス専用のハードウェアを発売しますが、これもぜんぜん売れませんでした。
売れないグラフィックス・コンピュータの処置に困ったピクサーの社員が何とか食いつなぐためにCMの映像制作の下請けをしたのが映画製作会社としてのピクサーの始まりだったわけです。
スティーブが僕の勤めていたサンフランシスコの投資銀行、ハンブレクト&クイスト(H&Q)によく遊びに来たのはそんな当時です。
「よお、ビルの親爺、居るか?」と突然、やってきてH&Qの創業者であり会長であるビル・ハンブレクトと歓談してゆきました。
ビル・ハンブレクトはアップルが1980年にIPOしたときのアドバイザーであり、H&Qはモルガン・スタンレーと並んでこのディールの主幹事を務めました。
墓石広告ではモルガン・スタンレーが左側(上位)に位置していますが、これは会社の規模がモルガン・スタンレーの方が大きかったからで、もともとスティーブ・ジョブズに上場会社になるときの細かいアドバイスを与えていたのはビル・ハンブレクトでした。
スティーブの意向で「バルジ・ブラケット(大手の意味)証券を噛ませたい」と言われた時、ビルが旧友でモルガン・スタンレーのCEOを務めていたディック・フィッシャーに電話したのです。
そんな事からスティーブはビルのことを父親のように慕っていました。
「ちょっと近所まできたからさ」
そう言ってスティーブが会社に寄るといつもH&Qの社員はスティーブを暖かく迎えました。
でも(本当はスティーブは行き場所が無いんだな)という事はH&Qの社員は皆、ひしひしと感じていました。
つまりNeXTでもピクサーでも仕事が行き詰っており、両社とも「硫黄島玉砕」みたいなギリギリの状態でしたので、心を開いていろいろ相談したり、長期的なハイテク業界の未来について心おきなく語ったりすることが出来る環境ではとてもなかったのです。
スティーブが来ると「じゃ、折角だからサンドイッチを買って、ブラウンバッグ・ランチにしよう」という事で株式営業部員は全員トレーディング・デスクを離れ、会議室でスティーブを囲みました。
僕の仕事はスティーブのサンドイッチを会社の斜向かいにあるサンドイッチ屋、「スペシャルティーズ」から買ってくることです。
「スティーブ、サンドイッチは何にしますか?ターキーですか、ハムですか?」
「パンはホール・ウィートですか、ホワイト・ブレッドですか?」
僕がスティーブ・ジョブズと最初に口を利いたのは、そんなやりとりでした。
スティーブを囲んだブラウンバッグ・ランチはいつも無礼講みたいな感じで活発なテクノロジー談義になり、スティーブのビジョン、さらに彼の美意識を知る上で大変貴重な経験になりました。
ピクサーに関しては「映画作りでいちばん大切なのは心にグッとくるストーリーだ。映像が美しいことも大事だけど、コンピュータが可能にする特撮の技巧の虜になってはいけない」という事を強く主張していたのが記憶に残っています。
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